小説の書き方・鷹見一幸の場合

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はじめに

 脳内が、完全に物書きに特化した人間ですので、あまり参考にはできないと思いますが、
 まあ、こんな風に小説を書いているんだなあ、と思っていただければ結構です。

手順案

イメージの明確化

 最初にどんな物語を書きたいと思うのか。そのきっかけは、いろいろあります。
品物からインスピレイションを得る事もあるし、チャットの馬鹿話から出てくることもあります(w
 そのいずれにしろ、思いつくときは脳内に映像を伴います。どちらかというと「映画の予告編のワンシーン」のように、明確な映像としてセリフを伴って脳内に浮かびます(w
 この辺は椎出さんの「親子丼」のイメージに実に良く似ていますね。
 たとえば「満員電車の中でチェーンソーを振り回す男」というイメージが沸くとします。すると、その男が電車に乗っているシーンからずっと一連の光景が、脳裏にうかびます。
 例文にするとこんな感じですね

 十一月末。
 本格的な冬が来る寸前の季節。
 ただでさえ混雑する朝のJR中央線の車内は、厚い冬服を着込んだ乗客たちのために、究極的に混雑していた。
 大月発東京行き通勤特別快速は、国分寺駅を出た後、次の停車駅である新宿まで約二十五分間どこにも停まらずひたすら走り続ける。
 電車という名前の連なって走る長方形の金属製の箱に、隙間無く詰め込まれた通勤客は、他人と視線を合わす事も無く、無言でその二十五分間を過ごす。
 十二両編成のオレンジ色の電車で編成された通勤快速の、ほぼ中間。
 先頭車両から七両目の車両の一番後席に、その男は座っていた。
 男は、まだ若い。
 二十歳を少し過ぎたくらいの年齢だろうか? 座席付近の人々の冷たい敵意が込められた視線を浴びながら、その男は表情を表すことも無く黙って座っていた。
 敵意の対象は、その男と、彼が抱えている大きなゴルフバッグだった。
 呼吸することにさえ疲労感を覚えるほどの混雑の中で、その男が抱えているゴルフバッグが占める体積は、周囲の人々に敵意を持たせるには充分すぎるほどだった。
 やがて列車が、国分寺駅を出て数分過ぎた頃、その男は、ゆっくりとゴルフバッグの蓋の部分についているジッパーを開け始めた。
 列車に、ぎっしりと詰め込まれた敵意と無関心の集合体の中で、その若い男は、蓋を開けたゴルフバッグの中に両手を突っ込んで、何か大きな取っ手のようなものがついた機械を取り出しはじめた。
 男が、その機械を取り出し終えたとき、車内の乗客から投げかけられていた敵意と無関心な視線が、驚愕と困惑の色に取って代わった。
 それは、エンジン付のチェーンソーだった。
 男の背後にある窓から差し込む初冬の朝の日差しを浴びたチェーンソーの鋭いエッジが、鈍色に凶々しく輝いた。
 沈黙の中で、乗客の一人が、たまりかねたように声をかけた。
「おい! 君、こんなところでそんなものを取り出して、何をするつもりだ!」
 男は黙ったまま、チェーンソーのエンジンスイッチを入れ、始動用のワイヤーを思い切り引いた。
 満員電車の車内に不似合いな、パタパタという小排気量の2サイクルエンジン音が響き渡った。
   それが。
 返事だった……。


 ……とまあ、こんな感じでイメージが広がって行くわけです(w

読者対象の明確化

 この時点で、書くものの内容と読者層を想定します。
 中学生高校生をメインターゲットにするライトノベルと、一般小説の一番の違いは「社会・組織をどう描くか」という点ではないかと思います。
 実社会に出たことの無い中学高校生にとって、組織とか社会とか、そういったものは、実に漠然としたもので、実感を持って見たり体験したことはありません、彼らにとって組織と個人の葛藤や軋轢というのは、なんとなくわかるけども実感の無い、いわばドラゴンや超能力と同じものです(w
 例文に揚げた「チェーンソー男」の話などは、ライトノベルで書くにはあまり向いていない話です。
 この男を、超能力を持った少年少女が追い詰めていく話、とか
 この男をこのようにしてしてしまった闇の組織を、少年少女が暴いていく話。
 ならば、これは充分ライトノベルとして通用する話になります。しかし、どっちも、私にしてみれば「ウソ臭い話」なわけです(w
 闇の組織や超能力、というものを、現実のフライパンの上に載せて調理するのは、現実そのものに沿って描くよりはるかに難しいことです。
 闇の組織や超能力は空想上のリアリズム、いわばテレビドラマの世界レベルのリアリティまでリアルの敷居を下げることで、やっと成り立つのです。
 実を言うと、リアルの敷居は、それで充分なのです。それ以上のリアリズムを求める人はまずいません、しかし、物語を語ると場合には、いきなり、架空の物語世界に読者を突き落とす方法と、現実の世界から階段をゆっくり降りるように物語世界に降ろしていく方法があります。
「ありえない世界のありえない話をありえるように書く」のではなく
「ありえる世界のありえる話を、あるかもしれないと思わせるように書く」という方法です。
 これは実に難しい方法ですが、これに成功すれば、読者に、物語世界と現実の一体化した、なんともいえない読後感をあたえることができます。
 そして、この「他の本では味わえない感覚」こそが、私が作家として生き残るために必要な部分ではないかと思っております(w

プロットの構築

 さて、普通の作家さんならこの辺で「プロット」が出てくるのですが、困ったことに私はプロットを書いたことがありません(w
 物語の全体像が浮かぶ前に、全体像を構成するそれぞれのエピソードの細かい部分まで浮かんできてしまうのです。
 頭の中では、おそらく、さまざまなセリフやキャラクターやエピソードが無数に浮かび、そのなかで「これだ」と思うものを取捨選択しているのだとは思うのですが、実際にその脳内にあるフィルターを濾過されて意識の上に浮かんで来た時には、もう八割近い完成品になってしまっているような、そんな感じがします。
 ですから、今まで書いてきた本はすべてプロット無しの一発書きで、上記の「チェーンソー男」のような書き出しから始まって、そのままラストまで書き上げています。
 これは要するに脳内にいかにフィルターを作り上げるか、という訓練の結果だと思いますので、誰でも訓練次第ではできるようになるのではないかと考えています。
   

引き出しと「ぴったりの一言」

 物語を書く前に脳内に「引き出し」を一杯作ると便利である、ということはよく言われていることです。
 では、その「引き出し」とはどんなものを言うのでしょう?
 知識や、情報、武器や機械のスペック。
 そのあたりのことを「引き出し」だとお考えの人がいるかもしれませんが、そういった「事典の項目」のようなものだけが「引き出し」ではないと私は考えています。
 たとえば、どこかで見た光景の情景の記憶だとか、手触り、物音、寒さ暑さという「五感の記憶」も大事な「引き出し」だと思います。
 なぜなら小説を書くとき、作者は、その小説の舞台に読者を連れて行かねばならないからです。
 「夜の繁華街の裏路地にうごめく異形のもの」が出てくる話ならば、文章で、そこに「夜の繁華街の裏路地」を創り出し、そこに読者を連れて行かなくてはなりません。
 実際に「夜の繁華街の裏路地」に行ったことの無い読者も含めてです(w
実際に行ったことの無い人間を、どうやれば、行ったような気分にさせることができるのか。それは「連想と想像」にヒントがあります。
 ここで必要になるのが「引き出し」の中身です。
 今まで見てきた実際の裏路地の光景や、テレビや映画の中に出てきた「裏路地」の映像の記憶。
 これのなかにある「裏路地」を構成しているありとあらゆるものを、どれだけ思い浮かべることができるか。
 そこに自分が立っているとして、目の中に入るもの、耳に聞こえる音、匂い 風、 温度、そういった「五感の作用によって感じるであろうもの」を どれだけ引っ張り出して来れるか、それが「引き出しの中身」なのです。
ためしにちょっと並べてみます。「繁華街の裏路地」という場所をイメージさせる「要素」です
「四角く切り取られた空(夜空)」
「饐えた生ゴミの匂い」
「うろつくドブネズミと野良猫」 「ビルの裏にある通用口のドアの脇に立てかけられたボロボロのモップ」
「ポタポタ水が漏る水道の蛇口の下に転がるひび割れたポリバケツ」
「非常階段の錆びた手すり」
「酔っ払いの吐瀉物が白くこびりついたアスファルトの路面」
「通り一本入っただけなのに妙に静かに感じる」
「遠くで聞こえる救急車のサイレン」
「ビルの隙間から見える高層ビルと、その屋上に点滅する赤い警告灯」
「表通りに面した小奇麗な顔とは正反対の薄汚れた壁面を見せる雑居ビル」
 ……と、まあこんな感じの「情景の要素」が私の引き出しの中から見つかりました。
引き出しをひっくり返せば、もっとこまごまとした物が見つかるかもしれません(w
  こういった「作者が書いた光景」と「読者が思い浮かべるであろう光景」とが脳裏で一致したとき、読者はそこに「リアル」つまり臨場感を感じるわけです。
 でも、その臨場感を与えるために書くべき分量は一行からせいぜい三行どまりでしょう。
それ以上ずらずら書き並べても冗長になるだけです。
「ぴったりの一言」とは、そのことを言うわけです。
   小説を書くために必要な力は、まず「観察力」そして「記憶力」次が「文章表現力」の順番だと私は思います。
 想像力は「観察力」に付随するものでしかないと私は思います。  なぜなら「この世に無いもの」であっても、それは観察力の結果蓄積された既存のものの要素の組み合わせで表現できるからです。

たとえば、この世に無い「スペースコロニーの夕暮れ」を書くとしたら 私ならこう書きます
 

居住区の両側にある採光口の地平近くから、角度を調節された黄色い太陽光線が差し込んでいる。
僕のまわりにある草の表が、すべて金色一色に輝く上を風がさざ波のように渡ってゆくと、僕は自分が湖の水面に立っているような気がした。
遠く中央の無重力区に浮かんだ積層雲の縁が黄色く染まっているのが見える。
調光用のミラーの角度が、さっきよりも浅くなったのだろう、地平線から差し込む太陽光線は、さらにその力を失ってゆく。
コロニーの中に急速に暗闇が忍び寄っていた。
僕は息を殺して採光窓を見つめていた。
そして、太陽の光の最後の輝きが窓の縁から消えたその時。
一瞬にして採光窓に夜が訪れた。
「星だ」
僕と彼女は、採光窓の四角い空いっぱいに広がる満天の星空を振り仰いでいた。

 ……どうでしょう? スペースコロニーの中の夕暮れ感が出ていましたでしょうか?(w
 この文章の元になった「引き出し」の中身は
「夕暮れの草原で見た景色の記憶」
「温室越しに見上げた空の記憶」
「プラネタリウムを見た記憶」
 というものです(w

 既存の「引き出しの中身」だけでも「この世に無いもの」は描けるわけです。

話題まとめ

 「小説を書きたい」と思うのでしたら、まず、この「引き出しの中身」を増やすことを考えましょう。
 世界には、あなたが今まで何の関心もなく見過ごしてきたものがいっぱいあります。
 自分には関係ないもの、興味を持たない物。
 それは今まではあなたにとって、存在しなかった物なのかもしれません。でも、小説を書くということは、その「あなたにとって存在していなかった物を含む、そこにある世界すべて」を創り出さねばならないということです。
 自分にしか興味が無い人、好奇心の無い人、世界が狭い人
こういう人は自分を主人公にした「私小説」を書くには向いているかもしれませんが、他人を楽しませる「エンタティメント小説」を書くには向いていません(w

   引き出しを増やす。
 引き出しの中身も、そして引き出しの種類も。

   これがすべての基本だと私は思っています。

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