一般言語学講義
『一般言語学講義』
『一般言語学講義』は、1916年に言語学者のシャルル・バイイ、アルベール・セシュエが編纂刊行した“Cours de linguistique g?n?rale”の日本語書名。英語版書名は通例“Course in General Linguistics”とされているようだ。
1913年に死没したソシュールが生前におこなった講義の講義録が、ソシュールの同僚学者バイイと、セシュエによって編纂された本。著者はソシュール、と記される事が多い。
内容は、言語研究の基礎論の提唱、と言える。
言語研究の基礎分野として、諸言語に共通するルール系としての性質(ラング)を研究する一般言語学を提唱。一般的なラングの性質とは、「差異の体系」である、とする現代的な言語記号論を提示した。
『一般言語学講義』の構成や文章については、現在までの研究で、バイイ、セシュエによる編纂作業には問題もあった、と評価されている。
その後の研究で、校訂された本や、原資料の再発見で、新たに編まれた本も書名を踏襲することは多いようだ。
日本では、1928年(昭和3年)に『言語学原論』(小林 英夫 訳,岡書院)の書名で刊行された。その後、数度再刊されている。
- 1928年(昭和3年)版,『言語学原論』(小林 英夫 訳,岡書院)
- 1940年(昭和15年)版,『言語学原論』(小林 英夫 訳,岩波書店)
- 1972年(昭和47年)版,『一般言語学講義』(小林英夫訳,岩波書店)
この本は、『言語学原論』の全面改訳版。 - 1976年(昭和49年)版,『「ソシュール一般言語学講義」校注』(トゥリオ・デ・マウロ 校注,山内 貴美夫 訳,而立書房)
この本は、1968年にイタリア語で刊行された校注版の日本語訳。 - 1991年版,『ソシュール講義録注解』(前田 英樹 訳注,法政大学出版局,叢書・ウニベルシタス)
- 1997年,『ソシュール一般言語学講義 コンスタンタンのノート』(フェルディナン・ド ソシュール 原著,影浦 峡、田中 久美子 共訳,東京大学出版会)
- 2003年,『一般言語学第三回講義—コンスタンタンによる講義記録』(フェルディナン・ド ソシュール 原著, 相原 奈津江 他、共訳,エディットパルク )
- 2006年,『一般言語学第二回講義—リードランジェ/パトワによる講義記録』(フェルディナン・ド ソシュール 原著, 相原 奈津江 他、共訳,エディットパルク )
成立経緯
ソシュールは、1912年から健康を害し、1913年に死没した。
「一般言語学」は、生前のソシュールが、ジュネーブ大学で担当した講義の題名。講義は、1907年、1908年〜1909年、1909年〜1910年、の3回おこなわれた。
『一般言語学講義』を編纂したバイイとセシュエは、かつてソシュールに学んだこともあった言語学者で、師でもあったソシュールが、生前、構想中と漏らしていた「1冊の書」を世に出そうとして、「一般言語学講義」の内容を纏める事にした。
ところが、バイイもセシュエも生前の「一般言語学講義」は聴講していなかった。もちろん、ソシュールが遺した講義用の手稿や聴講生が記したノートを元に編纂した。しかし、バイイやセシュエにとっては、「原資料である学生たちの講義ノートやソシュールの手稿は、雑然とした表現の不統一、構成上の不均衡にみちていると思われた」(前田英樹「『一般言語学講義』と原資料の間」,『ソシュール小事典』所収)。
刊行された『一般言語学講義』の内容と、ソシュールの構想自体とのズレについては、様々な議論や解釈がある。ただ、刊行された本の内容は、あまりに整理されすぎていて、構成も整いすぎているようだ。細かな点は、注解書を参照すべきだが、生前のソシュールに「1冊の本」公刊を躊躇わせた、理論のジレンマや、惑いのようなものが綺麗に整理されている、とは言えるだろう。
現在の研究では、ソシュールの手稿にも講義ノートにも見当たらない、おそらくは、編纂者が補完の意図で入れたのだろう部分なども、かなり把握されている。
『一般言語学講義』の評価
現在では『一般言語学講義』の評価には、肯定的なものから否定的なものまで、幅がある。
- 「公刊された『講義』のテクストが、どの程度ソシュールの言語思想を反映したものになっているかについては、いろいろ意見が分かれるところである。しかし、この議論は、『講義』とともに始まる思想史におけるその後の流れには無関係である。なぜなら、仮にソシュールが『講義』を承認しなかったとしても、正にこの公刊された書物が、現代言語論の基礎になったのであり〔後略〕」
ロイ・ハリス、タルボット・テイラー『言語論のランドマーク』(大修館書店) - 「〔『一般言語学講義』の〕原本は誤植が多いので有名。しかも重要な誤植が放置されたまま繰り返し印刷されてきた。一九七五年にトゥリオ・デ・マウロがこれらの誤植をあらためた上で論文『ソシュールについて』と、くわしい注釈をつけて刊行した」
田中克彦『ことばとは何か』(筑摩書房) - 「ソシュールはその原稿に目を通して、弟子たちに、『おれはこんなふうには言っていないよ』とか、『ここの書き方はちょっと単純すぎるじゃないか』などと文句を言えるたちばにはなかった。私がもしソシュールだったら、弁明したいことがいっぱいあったにちがいないだろうと思う。しかしまたその一方では、もしかして、自分の言いたかったことが、もっとうまく言いあてられているなどと思う点もあったかもしれない」
田中克彦『言語学とは何か』(岩波書店) - 「今日ではこれら〔『講義』〕の原資料をあたらずにソシュールの思想を語ることができないというのが学会の常識になっている」
丸山圭三郎『言葉と無意識』(講談社) - 「彼ら〔編纂者〕は時代に先んじたソシュールの思想を当時の理解可能性の枠組みにあわせて歪曲したり、後退させたりしてしまったのである」「〔しかし〕『講義』がソシュールの思想をまったく伝えていないというのは嘘でであり、こまかく見ていけば誤解をあたえる表現が多いということにすぎない」「しかしながら、ソシュールの思想を研究するものにとっては『原資料』のほうがより多義性に満ちたテクストであることはたしかだ」
立川健二『現代言語論』(共著,新曜社)
メモ
- 1907年、ソシュール一般言語学の初講義をジュネーブ大学で、開講。
- 1908年〜1909年、ジュネーブ大学で一般言語学の2回目の講義。
- 1909年〜1910年、ジュネーブ大学で一般言語学の3回目の講義。
- 1912年、ソシュール健康を害し、療養生活に入る。
- 1913年2月、ソシュール死没。
- 1916年、言語学者のシャルル・バイイ、アルベール・セシュエ、ソシュールの講義録を元に『一般言語学講義』を編纂し、公刊。
- 1954年、ジュネーブの公共大学図書館が、戦前から保管を委託されていたソシュールの手稿類を、遺族から寄贈される。同図書館はカタログ化と整理の作業に入った。
この年、一般言語についての断片的手稿が研究者ゴデルの手で、研究誌に採録紹介される。 - 1956年、再発見された手稿を踏まえた『一般言語学講義』の注解書(ゴデル版)が刊行される。
聴講生のノートを元に、第2回講義の一部を復元構成した文章が研究誌で公表される。 - 1958年、ソシュールの遺族によって、生前の手稿類が大量に再発見される。この手稿類も公共大学図書館に寄贈され、図書館はカタログの改訂作業をおこなう。
この年、ゴデル、かつての聴講生の1人から、別の聴講生コンスタンタンが記した講義ノートを譲り受ける。 - 1968年、エングラー版校訂本刊行。
この本には、コンスタンタンのノートも利用されている。
- 社会言語学者の田中克彦氏は、「ソシュール理論の大枠は、ドイツの言語学者ゲオルク・フォンデア・ガーベレンツの説を踏襲している」というエウジニオ・コセリウ(ルーマニアの言語学者)の説を紹介している。例えば、「ヒフミの倍化説」(田中克彦,『国家語をこえて』,ちくま学芸文庫所収)では、コセリウ説を紹介した上で、賛意も表明している。ただし「ソシュールは、ガーベレンツを同じことを言ったのだが、表現はより簡潔で印象深い」とも。
ガーベレンツの著作は、今のところ日本語では読めないようだが、コセリウの説の方は読むこともできる。(エウジェニオ・コセリウ 著,田中克彦、かめいたかし 共訳,『うつりゆくこそ ことばなれ サンクロニー・ディアクロニー・ヒストリア』,クロノス,Tokyo,1981.) - また、『一般言語学講義』の公刊後、しばらくしてから、ロシアのカザン大学でボドゥアン・ド・クルトネらがリードした「カザン学派」との類似が言われていた。生前のソシュールは、ボドゥアンと面識があり、文通もしていた。
- 一般言語学の研究者としては、他に、ロシア出身のユダヤ系言語学者ロマーン・ヤーコブソン、フランスの学者エミール・バンヴェニスト、デンマークのルイ・イェルムスレウなども有名。