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BILLY BAT』2巻(モーニングKC

浦沢直樹
ストーリー共同制作長崎尚志

『BILLY BAT』2巻は、モーニングKCから刊行されている軽装版マンガ(コミックス本)。浦沢直樹著、ストーリー共同制作長崎尚志の、サスペンス風の作品。

単行本コミック2巻は、2009年11月に刊行された。
雑誌「モーニング」の以下の号に掲載されたマンガが収められている。

  • 2009年25号、27号、29号、31号、33号、35号、38号、40号、42号

単行本構成

  • 第10話「終わりの続き」
  • 第11話「続きのはじまり」
  • 第12話「何万人の容疑者」
  • 第13話「背負わされた宿命」
  • 第14話「主の姿」
  • 第15話「父か子か聖霊か」
  • 第16話「教会の前」
  • 第17話「教会のあと」
  • 第18話「百地武芸帳 一之巻」

用語や登場人物

BILLY BAT
ケヴィン・ヤマガタが描くコミックのタイトル、及び、その主人公の名。
コミックスの主役キャラ、ビリーバットは、アニマル・カトゥーン風にデフォルメされたコウモリのキャラで、私立探偵という設定。コートを着ている。
第1巻採録の第6話(「黒か白か」)で、ケヴィンの夢に顕われたビリーバットだが。第2巻では、暗渠に逃げ込んだケヴィンの前に、白昼夢(?)のように姿を現し、闇の中へ消えていく(第13話「背負わされた宿命」)。
  • “BILLY BAT”のコミックスは、後に、ケヴィンのアシスタントだったチャック・カルキンの手によって描かれるようになり、1959年には広く全米に知られることになる(第16話「教会の前」)。この時期、フロリダには、巨大テーマパーク、夢の国「ビリーランド」が開設されている。
  • 1959年のモモチ・ランディによれば「昔のビリーはそんなんじゃなかった」「顔だってもう少しニヒルな目つきでさ/実にクールだった」。

第10話「終わりの続き」〜第13話「背負わされた宿命」

第10話の冒頭は、唐麻雑風がケヴィンに託したこうもり小僧の漫画原稿のラスト部分から入る。場面は、「なーんだこの漫画終わってないじゃん」と、原稿を読んでいるシズちゃんの様子に移る。彼女の住処にかくまわれたケヴィンが寝ている間のことだ。

こうもり小僧
こうもり小僧は、唐麻雑風が描く漫画のキャラクター。第10話の冒頭には、ケヴィンが、唐麻雑風から託された漫画原稿の末尾部分4頁分が、物語内物語として収められている。
そして、次の頁では、ケヴィンが寝てる横で、「なーんだこの漫画終わってないじゃん」と、原稿を読んでいるシズちゃんの様子に移る。
冒頭に収められる4頁の物語内物語では、こうもり小僧はシルエットで描かれる「空手チョップの男」を犯人と名指すが、逃してしまう。男は、お前とはもっと大きな事件で戦わなければならないと、こうもり小僧に告げ、「アメリカにくればわかる」と言うと姿を消す。漫画の最後のコマには、“また新たな冒険が/はじまる/行け こうもり小僧!!”というキャプションが被せられ、“おしまい”という手描き文字も添えられている。
空手チョップの男
唐麻雑風がケヴィンに託した、こうもり小僧の漫画終盤に登場する謎の男。シルエットで描かれ、容姿はわからない。男は、こうもり小僧に「アメリカへ来い」と挑発をすると姿を消す。
  • 第12話「何万人の容疑者」 で死ぬシズちゃんも、息を引き取る前に「空手チョップの男」にやられたと言い残す(ケヴィンはシズちゃんの仲間の街娼から聞かされる)。
シズちゃん
日本人の街娼。ケヴィンとは偶然知り合った。コウモリの絵が描かれているガード下にケヴィンを連れて行ったのは、シズちゃん。その後、シズちゃんは、来栖から逃れてきたケヴィンを自分のアパートにかくまっている。
ケヴィンが寝ている間に、こうもり小僧の漫画を読んでいたシズちゃんは、なんだこの漫画終わって無いじゃんと独り言を言うが、目覚めたケヴィンに、勝手に見るなと言われる。
  • 第11話「続きのはじまり」で、街頭に立つシズちゃんは、客を装う怪しげな男に誘われ暗がりに連れ込まれる。男は、月に行こうとする大統領が現れる話をシズちゃんに聞かせ、漫画を「読んだんだろ」と尋ねる。
  • 第12話「何万人の容疑者」で、瀕死のシズちゃんは、駆けつけたケヴィンに、漫画を観たのがいけなかった、と言い、金ちゃんならあれより面白い漫画描けるよ、と言う。「金ちゃんならあの続きをもっといい話にできるよ……/もっともっと面白くしてさ……/世界中を元気にするんだよ……」などと語る。
ケヴィン・ヤマガタ
日本語名、山縣金持(やまがた・きんじ)。“BILLY BAT”がヒット作になった日系アメリカ人の、コミック・アーティスト(マンガ家)ケヴィンは、BILLY BATとそっくりのキャラクターが描かれた漫画を日本で観た、と聞かされ、真相を確かめに日本に渡った。
ケヴィンは、以前、占領軍の通訳として東京に赴任していた時偶然垣間見たコウモリのキャラクターの落書きと、その絵を描いた唐麻雑風を探し当てるが、雑風から、こうもり小僧の漫画原稿を託されると、持って逃げろ、と言われる。漫画原稿を観たケヴィンは、下山事件を予言したような内容に困惑する。(第10話冒頭に収められる漫画は、雑風に託された漫画原稿のラスト4頁分)
  • 第11話「続きのはじまり」で、ケヴィンは、ファニー・アニマルのカトゥーン調の夢を看る。「我々は月へ行くことを選んだ!!」と、演説する背広を着た犬の夢だ。シズちゃんの部屋に転がり込んでいるケヴィンは、彼女が稼ぎに街へ出ている間に、夢をインスピレーションにしたコミックのアイデアを「ビリーの月世界探検の巻」としてスケッチする。明け方、ケヴィンは、部屋に駆け込んできた街娼にシズちゃんの急を聞かされ、駆け出す。
  • 第12話「何万人の容疑者」で、口から血を流し瀕死のシズちゃんのもとにケヴィンは駆けつける。彼女が、ケヴィンを呼べと言った、と語る街娼たちに、早く医者を呼べとケヴィン。シズちゃんは、雑風の漫画を読んでしまったことがいけなかった、とケヴィンに語った後、息絶える。ケヴィンは後に残った街娼から、空手チョップの男にやられた、とシズちゃんが言っていたことを聞かされる。
    ケヴィンの元には、街娼が警察と間違えて、来栖とその配下を連れて来てしまう。街娼たちに逃げろと言われ、暗渠に逃げ込むケヴィンは、闇の中で、ビリーバットと出会う。ビリーは「よお お前逃げてばっかりなだ/本当にそれでいいのかい」と、ケヴィンに問いかける。第13話で、ビリーバットは「お前が続きを描いて……/お前が止めろ」と、続ける。「おまえは白か黒か…………?」と訊くケヴィンだが、ビリーは「俺は……/お前が作ったビリーバットだ」と応えると去っていく。
  • ケヴィンは、ビリーと会った後、もう逃げないと決め、GHQ本部に出頭しようとする。しかし、見知らぬ男(雑風を取り調べ、釈放した日本人刑事)に呼び止められる。刑事は、ケヴィンから一通りの話を聞いた後で、自分の勘ではケヴィンはシロだ、と告げる。そして「アメリカに戻れ」という雑風の伝言をケヴィンに伝える。
唐麻雑風
元紙芝居屋の漫画家で、『こうもり小僧の大冒険』の作者。
ケヴィンに、こうもり小僧の漫画原稿を託し、姿をくらませていた雑風は、警察で事情聴取されていた。横須賀で接収されている米軍将校の家に、ペンキでコウモリの絵を大きく落描きしたとして取調べを受けていたのだった。雑風は、取調べの刑事に、漫画の続きが思い浮かんだんだと言い、ケヴィンを探し出して「アメリカに行け」と、伝えてくれと頼み込む。
  • 第11話「続きのはじまり」で、雑風は警察の取調べから解放される。
    直後、雑風の取調べをした刑事は、フィーニーに会い、胡散臭さを感じたらしく、身の危険を雑風に知らせてやろうと後を追う。刑事は、雑風と出会った様子の子供に行き会い、路上に落書きのように描かれた絵を観て、驚く。子供の言葉を併せると、その落書きは、雑風がインスピレーションの形で得た未来の予言を描いたものらしい。
フィーニー大尉
GHQの特別検閲官。チャーリー・イシヅカがOSS(戦略諜報局)から持ち出した「黒蝙蝠写本」の行方を捜している。
  • 第11話「続きのはじまり」で、フィーニー大尉は、唐麻雑風が取調べを受けていた警察署に突然顕われ、「スパイの可能性がある」と強引に雑風の引渡しを求める。
CIAのスミス
下山事件の捜査をしているらしい。はじめは、行方不明になったチャーリー・イシヅカの行方を捜していた。
ケヴィンに似た似顔絵を、関係不信人物の似顔として入手した後、フィーニーの部下ということになっているケヴィンの手がかりを求め、フィーニーを訪ねる。
  • 第12話「何万人の容疑者」で白州次郎を訪れるスミスは、ケヴィンに似た似顔絵を見せ、日本橋のサロンで見なかったか、と尋ねる。スミスは、下山事件を巡る様々な説を並べて白州に聞かせ、「空手チョップが致命傷という説もある」と語る。
  • 第13話「背負わされた宿命」で、川口警察署を訪れるスミスは、チャーリー・イシヅカが死亡していることを突き止める。自殺だ、と告げる担当刑事に、ケヴィンの似顔絵をみせるスミスは、逆に、闇市の飲み屋の主人の似顔絵を不審人物の人相描きとしてみせられる。
「歴史の闇」
第10話「終わりの続き」で、GHQの特別検閲官フィーニー大尉が、CIAのスミスに語るセリフ。古文書「黒蝙蝠写本」についての会話の内で、「我々には必要なんだよ/歴史の闇がね……」と、フィーニー。
  • 第12話「何万人の容疑者」では、白洲次郎が、CIAのスミスと交わす、下山事件についての会話の内で語る。白洲によれば、下山事件は「日本の歴史に闇をつくろうとしてる奴らのイタズラ」くさいと言う。
  • 第13話「背負わされた宿命」では、暗渠に逃げ込んだケヴィンは、ビリーバットから「今度奴らは二〇世紀最大の闇をつくろうとしている」お前が止めろと告げられる。
白州次郎
第9話「こうもり小僧の大冒険 其ノ一」(1巻)で、日本橋のビル内に設けられた日本復興財団のサロン現われた男。突然現われると、来栖に殺されそうな雰囲気だったケヴィンを助け、逃がした。
  • 第12話「何万人の容疑者」では、白洲が畑仕事をしているところにCIAのスミスが訪ねてくる。スミスは、ケヴィンの似顔絵を白州にみせ「この男……見かけませんでした?」と尋ねる。白洲が「見たような気もするね」とごまかすと、スミスは似顔絵の男は下山事件の容疑者だと告げる。「何万人の容疑者のうちの一人か?」と白州。下山事件を、イタズラくさい、と言う白州に、スミスは、空手チョップが下山の死因だという説もある、と告げる。「悪い冗談だな」と、白州。

第14話「主の姿」、第15話「父か子か聖霊か」

14話「主の姿」、第15話「父か子か聖霊か」は、連続性の高い2話。
第13話の末に、「主の姿」の導入的な場面が入る。中東風の町並みに群衆が群れる大通りに向かい、走る1人の少年。少年が通りに出ると、丁度、群衆の間から、石が投げ打たれるところだった。
第14話では、主に少年ユダと、匿われるている外套の男とのやりとりが描かれ、背景として、救世主を自称した“あの方”が処刑される様子が暗示的に描写される。第15話では、成長したユダを視点人物のようにして、ユダが“ナザレのイエス”を売った経緯などが回想的に描かれる。
第13話ラスト部分を承前的に観て、第14話-第15話までも通して観ると、「救世主を自称する人物が頻出している世相」を背景に、処刑も「よくあること」とみなすコウモリのキャラクターとユダとの関わりが描写されていく。この相の物語が、『BILLY BAT』全体を通した物語の部分として、ポイントになる、と思われる。

少年ユダ
第13話のラストから登場する、中東の少年。彼の名がユダであることは、第14話「主の姿」のラストで明かされる。彼が観に行ったのは、「救世主」を名乗る男が処刑場に向かって歩かされている様子と、見物に集まった群衆の様子だった。
引き立てられる罪人が通り過ぎた後、少年は、狭い路地を通り、廃屋に隠れている外套の男のところへ走る。1人で隠れている男に、観てきた様子を語り、パンを差し出す少年だが、外套の男は、泣きながら、自分が「あの方を売った」と、つぶやく。少年は外套の男に頼まれて刑場に引き立てられる“あの方”の様子を観に行ってきたらしい。
メシアと信じる“あの方”を売った、と嘆き続ける外套の男に、少年は再度パンを差し出し、食べなよ、と言う。そして、何かを廃屋の床に落書きしながら、かつて“あの方”が外套の男に描いてみせた主のお姿は、どんなふうだったか尋ねる。「それは言えない」と言われると、少年は「チェ! な−−んだ」と言うが、明日もパンを持ってくると告げて出て行く。その頃、丘の上の刑場から群衆がどよめく声が町に響いてくる。丘を見上げた少年は「あの人ももうおしまいだ」と言うと、走っていく。
家に戻った少年は、母親から「おかえりユダ」と声をかけられる。
  • 第15話「父か子か聖霊か」で、家に帰った少年ユダは、母親の小言も上の空で、ビリーバットやこうもり小僧に似た、2体のコウモリキャラと会話を交わす(が、母親にはコウモリたちの姿はみえないようだ)。
    コウモリたちは、「今日処刑されたあいつは救世主ではない」という点では一致した意見。少年ユダが、外套の男から聞いた話を「あのおじさんが裏切ったから/あの人 処刑されたんだってさ」と語ると、コウモリたちは「そんなことはよくあることさ」「毎月おこなわれている処刑のほとんどがそんな感じさ」と告げる。
    「君たちは神様?」と少年ユダに訊かれると、コウモリたちは「そうだよ」「違うよ」と応え取っ組み合いのケンカをはじめる。あげくに「お前が決めろ」「俺たちが神様かどうか」「お前が決めろ」と言われ、少年ユダは困惑して口ごもる。
外套の男
第14話で少年ユダに匿われていた男。少年ユダとの会話で、外套の男は、あの方を売ったと語る。少年は外套の男に頼まれて刑場に引き立てられる“あの方”の様子を観てきて知らせたらしい。外套の男は「あの方こそ“油を注がれし者”…………/メシアなのだ……」と呟く。
続く回想場面で、外套の男がかつてメシアを求め、自称救世主を試しながら放浪していたらしい様子が描かれる。回想が“あの方”との出会いに進んだところで、場面は少年ユダと会話している廃屋に戻り、外套の男は「私は……/こんな金貨とひきかえに……売った!!」と、嘆く。少年に、かつて“あの方”が描いてみせた主のお姿はどんなふうだったか尋ねられる男は、「それは言えない」と応える。少年は「チェ! な−−んだ」と言うが、明日もパンを持ってくると言いつつ廃屋を去る。その頃、丘の上の刑場から群衆がどよめく声が町に響いてくる。外套の男はそのどよめきを耳にしながら「なんだ……/この絵は………?」と少年が、床に描いていたコウモリの絵に見入る。
“あの方”
第14話で、刑場に引き立てられて行った男。少年ユダが様子をみに行った時、群衆の間からは、救世主を名乗ったんだから自業自得だ、との会話が聞かれる。
少年ユダが匿っている外套の男は、“あの方”が“油を注がれし者”、メシアだと信じている様子。
外套の男のが“あの方”と出会ったのは、道端で倒れた女に“あの方”が手を翳し息を吹き返させた直後のことだった。この様子は、回想的な描写で描かれる。外套の男が、あなたはメシアですか? あなたは主に会われたのですか? と、尋ねても無視していた“あの方”だが、「教えてください/主はどんなお姿をされているのか?」の問いには、無言で地面の上に絵を描いてみせた。それが外套の男と“あの方”の出会いだった。
イスカリオテのユダ
第15話で登場する男は、ある日、道端で癒しをおこなう男に気づくと近づき「あなたは“油を注がれし”者ですか?」「あなたがもしも神に会われているなら神はどのようなお姿を……」と尋ねる。男が無言で地面にコウモリの絵を描いたのをみて、ユダは、あなたこそメシア、と言いながら跪き「私……イスカリオテのユダと申します!!」と自己紹介をする。
この「イスカリオテのユダ」は「少年ユダ」の成長した姿、と読むのが妥当と思える。
続けてユダが一群の男たちとと共に「メシア」と呼んだ男と旅をする様子が描かれる。場面は、エルサレムで商人の店を破壊する男の様子を描いた後、明らかに聖書伝承の最後の晩餐を思わせる場面に移る。この場面でイスカリオテのユダは、裏切る者に指名され「おまえのしようとしていることをするのだ」と告げられ席を立つ。さらに、ローマ兵団に捕縛されるナザレのイエス、イエスに接吻するユダが、聖書伝承を踏まえて描かれる。
この後、場面は、私はあの方を売ったのだ!! と嘆くイスカリオテのユダが、黒髪の少年に匿われているらしい場面に移る。
  • 嘆くイスカリオテのユダに、黒髪の少年が「でも筋書き通りだったんだろ?」と訊き「え……」と言うユダの顔がアップになると、場面はユダの回想のカットバックに。この回想で描かれるのは、聖書伝承にはないフィクションの挿入になる。“義の教師”として罪を背負って死ぬことで、光の子と闇の子の最終戦争がはじまると、イエスが語る(これはクムラン教団の教説、あるいはエッセネ派の教説をふまえたイエス伝解釈の一つをベースにした演出にあたる)。それを聞いたユダが「神のお姿を描いてくださいとお願いした時/描いてくださった絵は本当に神のお姿なのですか?」と訊ね、イエスが「お前の頭の中にある絵を描いただけだ」と、応えるやりとりは、『BILLY BAT』の物語により即した描写にあたる。
    回想を経て、黒髪の少年との場面に戻ると、イスカリオテのユダは「もしあのコウモリが神でないなら!!」「彼らはずっと僕に裏切れと言い続けていた!!」と惑乱。そんなユダに、少年は「それでいいんだ」と語りかける。
“ナザレのイエス”
第15話「父か子か聖霊か」で、イスカリオテのユダが、つき従うことになる男。この人物の名は、作中一切言及が無い。自分で名乗るセリフも、他のキャラから呼びかけられるセリフも無い。イスカリオテのユダも「あの方」とのみ呼んでいる。ただ、第15話のラストで、描かれるイスカリオテのユダとコウモリのキャラクターとの会話から“ナザレのイエス”として描かれている、と思われる。
イスカリオテのユダとの出会いが描かれた後、エルサレム神殿のイエス、最後の晩餐の様子、ローマ兵に引き渡されるイエスの様子が、聖書伝承を踏まえて描かれる。
この後、場面は、イスカリオテのユダと黒髪の少年の場面に移行。それまでの描写がイスカリオテのユダの回想であったかのように構成され、後、もう1度回想がカットバックされる。おそらく、最後の晩餐の場面よりも前にあたる回想のカットバックで、“ナザレのイエス”はイスカリオテのユダに次のように語る。「私は“義の教師”……人々の罪を背負って死ななければならない/でなければ光の子と闇の子の最終戦争ははじまらない」「わかるなユダ」「そのためにおまえは私をローマ兵に売らなければならないのだ」。最初に会った時に描いて見せてくれたのは本当に神のお姿なのですか? と聞くユダに“ナザレのイエス”は、「お前の頭の中を描いただけだよ」「お前の頭の中にある絵を描いただけだ」と応える。
黒髪の少年
“ナザレのイエス”をローマ兵に売った後のイスカリオテのユダを、匿っているらしい少年。
あの方を売ってしまったと嘆くユダに、黒髪の少年は「でも筋書き通りだったんだろ?」と言う。え……と振り向くユダの回想的な場面を挟んだ後、自分がコウモリのキャラクターのそそのかすまま“ナザレのイエス”を売ってしまった、と惑乱するユダが描かれる。少年はそんなユダに「それでいいんだ それであいつは人間にとって永遠の存在になった」と告げる。
誰だお前、とユダが尋ねると、黒髪の少年の背後に、含み笑いをしながらコウモリのキャラクターが姿を顕す。あの方はおまえに会ったことはあるのか、と訊くユダに、コウモリは「一度もねえよ/ただ俺に従っただけだ」と語り、唖然としてみつめるユダに向け、黒髪の少年が「どうしたの? おじさん」と、訊ねるコマで、第15話は終わる。

第16話「教会の前」、第17話「教会のあと」

第16話「教会の前」、第17話「教会のあと」は、連続性が高い2話。
エピソードは、夜の教会の前で、イエス・キリストの十字架像を見上げる花嫁衣裳の黒人女性、という情景から描き始められる。女性はタクシーを止め、乗り込むとグランドセントラル駅へ行くよう指示。舞台は、1959年のニューヨーク。
駅に向かうタクシーの運転手(モモチ・ランディ)は、公民権運動のデモをやっているので回り道をする必要がある、と告げる。
しばらく黙り込んでいた花嫁は、バックミラーから下げられたビリーバットのマスコットのことを「運転手さんもそれ好きなの?」と話しかける。「娘が好きでね/あと こいつはナビゲーターもやってくれるし」とランディ。

花嫁衣裳の黒人
「教会の前」でタクシーを拾う黒人女性。タクシーに乗り込むと、グランドセントラル駅へ行くよう指示。
運転手は、途中で公民権運動のデモをやっているので回り道をする必要がある、と告げる。クリスマスシーズンの街のあちこちに、ビリーバットの飾り付けや玩具を見かける女性は、タクシーのバックミラーにもビリーバットのマスコットが下げられているのに気づき「運転手さんもそれ好きなの?」と話しかける。「娘が好きでね/あとこいつはナビゲーターもやってくれるし」と、運転手。花嫁衣裳の黒人は、ビリーバットのことを「あたしは大っ嫌い」と言う。サスペンスの時の犯人は、ソ連人か中国人で、黒人は決まってその手先、コメディの時はメイドの役しか黒人の出番がないのが理由だ、と語る。「昔のビリーはそんなんじゃなかった」と運転手。
金があったらフロリダのビリーランドに行きたいという運転手の言葉に、花嫁衣裳の黒人は、「ふん冗談じゃない」と返し、“何が夢の国ビリーランドよ/あそこ黒人は入場できないのよ”と続ける。ホントかい? と訊くランディに、彼女は「黒人が白人のバスに乗れないのといっしょよ/それどころかフロリダは白人と黒人の結婚は禁止している」と言ったまま、口をつぐむ。
しばらく後「さっき娘さんがビリーのこと好きとか言ってたけど/娘さんいくつ?」と再度話しかける花嫁。いくつになったんだっけ、と口ごもるランディに「しっかりしてよ」と言うが、しばらく会ってないというか会わせてもらってないというか、とランディに聞かされ「あ……/そう……なんだ」と応える。ランディは、難しいですよね……結婚生活って言うのは……、と言った後、めでたい衣装着てる人にこんなこと言っちゃいかんですよね、とあわてるが。「ひとりでこんなかっこうでタクシーの乗ってるのがめでたく見える?」と花嫁。「結婚式追い出されたの……」と、花嫁は、白人の彼との結婚式で、式の途中新郎の親族から“この結婚式に異議あり”と申し立てられ、教会を追い出された経緯を語る。その時あんたの彼氏は……? と訊くランディに、花嫁は険しい表情で「行って」「グランドセントラル駅まで早く!」とだけ告げる。
花嫁衣裳の黒人は、小雪が降り始めた夜のグランドセントラル駅でタクシーを降りる。去り際、「今にきっとよくなる!!/今に黒も白もなくなる日が来る!!」などと、モモチ・ランディに言われ「運転手さん…………/ありがとう…………」と応える。そして「運転手さんにはそんなすごい奇跡が起きなくても/娘さんに会えるよ」と、言葉をかけ、「じゃあ……」と駅舎に向かっていく。
  • 花嫁衣裳の黒人は、ゴールデンコーラがフロリダに建てたボトリング工場で働いていた。工場内の労働争議で、黒人と白人の緊張が高まった時に、黒でも白でも殺し合いになれば同じ赤い血が流れる、と騒動を止めた。この件は、第17話「教会のあと」で、回想的に描かれる。
  • 第17話「教会のあと」で、ランディのタクシーが駅に向かっている頃、花嫁衣裳の黒人は、小雪がちらつき出す駅舎の前に立っている。駅員に、もうホームに行かないとフロリダ行きの列車は出ちまうよ、と声をかけられ、ここいらもうすぐデモ行進が来るって、巻き込まれたら大変だよ、と言われ「ええ……」と口ごもり駅舎とは反対側を振り向く。
    第17話のラストパートでは、駅舎の前に立っていた花嫁衣裳の黒人は、ランディのタクシーから降りる白人青年と駆け寄りあって抱き合う。
モモチ・ランディ
ニューヨークでタクシー運転手をしている中年の日系米人。花嫁衣裳の黒人を教会の前で乗せる。
ランディは、タクシーのバックミラーにビリーバットのマスコット人形を吊るしている。
花嫁衣裳の黒人に「運転手さんもそれ好きなの?」と聞かれ、「娘が好きでね」とランディ。「あと こいつはナビゲーターもやってくれるし」「迷ったら道を教えてくれるんだ」と言うランディに「ふんバカバカしい」と言う黒人は「あたしは大っ嫌い」と、言葉を継ぐ。
モモチは「昔のビリーの方が好き」だと言い、「チャック・カルキンが描いている今のビリーなんて」と、語る。ランディは、ビリーバットの元の作者が日系人のケヴィン・ヤマガタだと知っていて「チャックはヤマガタの弟子なんだよ」と、花嫁に聞かせる。それだけでなく、ケヴィンの日本名がキンジ(金持)だということも、ランディは語る。
  • ランディは、黒人女性が何故花嫁衣裳を着ているのか気になる様子だが、ビリーバットのマスコットに「聞けよ」と、そそのかされると「え!?」と困惑。マスコットはなおもそそのかすが、ランディの方は「余計なこと言ってないで/この先の渋滞はどうなってんだよ」と話をそらそうとする。
  • しばらく後、花嫁は「さっき娘さんがビリーのこと好きとか言ってたけど/娘さんいくつ?」と再度ランディに話しかける。「え……/あ〜〜……え〜〜と いくつになったんだっけ」、と口ごもるランディに「しっかりしてよ」と言うが、「いや〜〜……/しばらく会ってないというか会わせてもらってないというか……」とランディ。あ……そう……なんだと応える花嫁にランディは、「なんちゅうか……/難しいですよね……/結婚生活って言うのは……」と言った後、「あいや……!! そんなめでたい衣装着てる人に こんなこと言っちゃいかんですよね」とあわてる。「ひとりでこんなかっこうでタクシーの乗ってるのがめでたく見える?」と花嫁。「結婚式追い出されたの……」と、花嫁は、手短に、白人の彼との結婚式で、式の途中彼の親族に“この結婚式に異議あり”と言われて、式を追い出された経緯を語る。「その時あんたの彼氏は……?」と、訊くランディに、花嫁は険しい表情で「行って」「グランドセントラル駅まで早く!」とだけ告げる。「はい……」とだけ応えるランデイ。
  • ランディは、小雪が降り始める夜のグランドセントラル駅で、花嫁を降ろす。去ろうとする花嫁に運転席から「今にきっとよくなる!!/今に黒も白もなくなる日が来る!!」と言葉をかけるランディ。「今に黒人大統領だって誕生する日がくる/この国にもモーゼみたいに奇跡を起こす奴が現れるって!!」などと続けるランディに、花嫁は「運転手さん…………/ありがとう…………」と応える。
    花嫁を見送りタクシーを出すランディは、「今日はかき入れ時だ」と言うビリーバットのマスコットに、「人づかいの荒い奴だな」と、こぼすが、言われるままに車を流していく。
  • ビリーバットのマスコットの言うままに、デモを避けながらタクシーを流すランディは、花嫁衣裳の黒人を拾った教会の前に戻ってしまう。教会の前、礼服姿の白人青年に、黒人の花嫁を見かけなかったか訊かれると、「早く乗んな!!」と、青年に告げ「まだ間に合うかもしれない!!」と、タクシーを走らせる。
  • 駅に向かうタクシー車中で、青年から花嫁との話を聞かされるランディは、「勇気がなくて……」と言う青年に、「私もさ……/えらそうなことは言えないんだ」「女房子供が家を出て行くのを黙って見てた……/あんたと同じさ……」「勇気がなかったんだ…………」と語る。
  • タクシーからセントラル駅の駅舎が見えて来た頃、駅まで鉢合わせる黒人のデモと白人のデモがにらみ合いを始める。「ヘタすると巻き込まれるぞ……」と言うランディに、後部座席の青年は「引き返しましょう」と言う。「勇気のない人間には運はめぐってこない……」と言う青年に「ああ……その通りだ/あんたの言う通りだ」と応えるが。ビリーバット(のマスコット)に「行けよ」とそそのかされ、一瞬迷うが腹をくくる感じで、タクシーをデモ隊の間に突っ込ませて行く。
    「右!!」「左!!」と、マスコットの指示のままハンドルをきるランディは、奇跡的に事故を起こさずにデモ隊の間を突っ切る。突っ込んで来たタクシーを避けようとしたデモ隊は左右に別れ、タクシーは、駅舎の前に停車する。「海が……割れた……」と呟くランディ。青年はタクシーを降り駅舎の前に立っている花嫁衣裳の黒人と駆け寄り、抱き合う。
  • タクシーを出したランディは、自分の言うとおりハンドルを切れという、マスコットの言葉に逆らい、「女房と子供を迎えに行く」と、ハンドルを切り続ける。「おいやめとけよ!」といい続けるマスコットを無視して、ランディはタクシーを進めていく。
ビリーバットのマスコット
モモチ・ランディが、自分の運転するタクシーのバックミラーにつる下げているマスコット。マスコットは、花嫁衣裳の黒人を駅まで乗せている途中のモモチ・ランディに、「聞けよ」「なんで花嫁姿なのか聞いてみろよ」と、そそのかす。余計なことを言ってなで、この先の渋滞状況をナビゲートしろ、というランディに、マスコットは「気になるんだろなんで花嫁姿なのか……」と、そそのかしを重ねる。
  • 第18話の終盤、グランドセントラル駅の間近で、黒人デモ隊と白人デモ隊が騒乱を起こしそうになったところで、ビリーバットのマスコットは、引き返そうとしていたランディに「行けよ」とそそのかす。
ビリーランド
作中の1959年には、フロリダに設けられている巨大遊園地。
「夢の国」と呼ばれているが、黒人は入場できない。
花嫁を捜す青年
グランドセントラル駅から、ビリーバット(マスコット人形)の言うまま、教会前に戻ってくるランディのタクシーを止める、礼服姿の白人青年。黒人の花嫁をみかけなかったか、という青年をタクシーに乗せると、ランディは「まだ間に合うかもしれない!!」と、タクシーを発車させる。
  • 青年は、ゴールデンコーラのオーナー一族の息子。ランディは「超のつくボンボン」と呟く。1955年にフロリダに建てられたボトリング工場のマネージャーとして赴任し、労働争議の時に、花嫁と出会った。
  • 青年は、コミック・アーティスト(マンガ家)を志望していたが、家族に反対され断念。ケヴィン・ヤマガタの描く“BILLY BAT”をめぐる話題でランディとは意気投合。「チャック・カルキンが描いている今のビリーなんて」と、言うランディのセリフを引き継いで「ブ−−ッですよ!!」と続け、「あははっ その通り!!」と言われる。
    青年は「フロリダのビリーランドなんか最悪ですよ」とも語る。
ゴールデンコーラ
第17話「教会のあと」の冒頭の1頁(片起こし)では、1950年代調のゴールデンコーラのTVCMが縦3段(3コマ)に構成され描かれている。
めくって次頁では、タクシーのハンドルを握るモモチ・ランディのセリフで「ふんゴールデンコーラっていったら……/シェア争いで出遅れたがフルシチョフに気に入られてソ連に独占販売が許されたあれか……」と、説明的な独り言が入る。(ランディのセリフは「あんたそのゴールデンコーラのなんなんだ?」と続く)

第18話「百地武芸帖 一之巻」

「百地武芸帖」
「百地武芸帖」は、『BILLY BAT』2巻巻末の「一之巻」から始まり、3巻に続く連続性の高い一連のエピソード。
「百地武芸帖」の物語は、承前のようなシーンが、第17話「教会のあと」の末尾に一頁半ほど収められている。第14話「主の姿」の承前が、第13話「背負わされた宿命」の末尾に収められたのと同様の手法だ。ただ、「百地武芸帖」の方の承前は、「右か!?」「左か!?」と目印を見分けながら忍者が失踪していく場面が描かれていて、第17話クライマックスで、モモチ・ランディが運転するタクシーがデモ隊を突っ切る場面との反復や、第17話のエピローグ相当パートで、「右行けってば」と言うマスコットを無視してハンドルを切るモモチ・ランディとの対照が面白い。
「百地武芸帖 一之巻」
「百地武芸帖 一之巻」は、『BILLY BAT』のエピソード第16話のタイトル。
伊賀が織田信長の軍勢に包囲されている、天正伊賀の乱の頃。伊賀の志能備(忍者)勘兵衛は、国侍の一人、百地丹波守に呼び出される。織田軍の包囲を突破し、紀伊にいる百地丹波守の息子に届けるよう、一巻の巻物を託される勘兵衛。
伊賀の国を出ようとする勘兵衛は、幼馴染の志能備に襲われ、辛うじて勝つが、相手は死ぬ間際に「おまえの運んでいるもの……/それは……天下をくるわす……」と、言い残す。巻物を開いてみる勘兵衛の前には、コウモリの姿をしたキャラクターが顕われるのだった。
勘兵衛
伊賀の里で、百地丹波守配下の志能備(忍者)。
「百地武芸帖」の作中には観られない表現だが、イメージ的にはいわゆる下忍のような様子。「百地武芸帖」を通じて、主役級のキャラクターのように描かれる。
百地の館前に駆けつける勘兵衛は、門番に「お館様の命を受け/馳せ参じました!!」と告げ、割符を改められ、合言葉を確認された後、館内に通されて、百地丹波守に拝謁。丹波守からは「伊賀の里でもっとも健脚を誇る者」と呼ばれる。
丹波守から、一巻の巻物を託され「織田軍の包囲を破り紀伊のわが息子三太夫に/これを渡すこと!」と命じる勘兵衛。「伊賀の里を救え!」と言われるまま、伊賀の里を抜け出そうとする勘兵衛は、藤林、服部の里を抜けるべく北上していく。抜けようとした森の中に、一面に張り巡らされた罠の仕掛けを回避していく勘兵衛だが、思わぬ時間をくってしまったことから、森のはずれで小休止、兵糧丸を採りながら、森を進むか、森を出て畑を突っ切るか迷う。そこで別の志能備に襲撃される勘兵衛。静かだが激しい戦いの内、勘兵衛が襲撃者に止めを刺す直前、相手は覆面のまま「やっぱり速いな勘ちゃん」と、言う。「え!?」と思いながら袈裟懸けに斬りつける刃を止められない勘兵衛。
「藤林の新ちゃん」に致命傷を与えた勘兵衛は、どうして幼馴染に襲われたか迷い、百地丹波守の言葉“もはや誰が味方で誰が敵かまったくわからない”を想い起こす。新ちゃんは、勘兵衛に「焼き捨てろ…………」「おまえの運んでいるもの……」「それは……天下をくるわす……」と告げて息切れる。
新ちゃんの真意がわからぬまま、やむにやまれぬ感じで、巻物を紐解く勘兵衛だが、その前に、半分煙のような感じの黒蝙蝠が顕われ、「あ−−あ はじまっちゃった」「何人殺せば終わるかな」と語る。驚いた勘兵衛が、思わず巻物を締めると、黒蝙蝠の姿は掻き消える。「な……/なんだ今のは……」と、勘兵衛。
新ちゃん
第18話「百地武芸帖 一之巻」が始まってすぐに描かれる回想的場面で初登場する、伊賀の里の勘兵衛の幼馴染の1人。礫や手裏剣が得意。
回想場面では、子供時代の模擬戦のような遊びの様子が描かれ、新ちゃんが、糸玉を投げて、権ちゃんを木の上から落とす。「これが本物の手裏剣なら」と余裕をみせるが、隙あり、と玄ちゃんに組み付かれ固め技をかけられる。
  • 第18話の中盤から、勘兵衛の行く手を阻もうとする志能備として登場。
    • 勘兵衛が、行く手を阻もうとする志能備を倒してみれば「藤林の新ちゃん」だった。同じ伊賀者なのに、と言う勘兵衛に、新ちゃんは、運んでいるもの(巻物)を焼き捨てるよう告げて息切れる。
玄ちゃん
第18話「百地武芸帖 一之巻」が始まってすぐに描かれる回想的場面で初登場する、伊賀の里の勘兵衛の幼馴染の1人。組み打ちが得意。
回想場面では、子供時代の模擬戦のような遊びの様子が描かれ、新ちゃんが投げた糸玉が命中して、木の上から落ちる。が、隙あり、と組み付くと「接近戦なら俺のもんだい」と固め技を決める。
権ちゃん
第18話「百地武芸帖 一之巻」が始まってすぐに描かれる回想的場面で初登場する、伊賀の里の勘兵衛の幼馴染の1人。剣技が得意。
回想場面では、崖っぷちで権ちゃんが勘兵衛に木刀のような物で打ち込み、崖から転落しそうになるところを、逆に勘兵衛に救われる。
帰り際、権ちゃんは、剣がまともに入ったから俺の勝ちだと主張するが、勘兵衛は俺がいなかったら今ごろ崖の下だぞ、と言い返す。やりとりを聞いていた新ちゃんは「どうやら今日も引き分けらしいな」とコメント。
百地丹波守
伊賀の里の有力国侍(地域土豪)の一人。成長し志能備になった勘兵衛を館に呼び出すと直に拝謁。丹波守は、織田信長配下の大軍に包囲され、一部の国侍も織田側に寝返ったと勘兵衛に説き「もはや誰が味方で誰が敵かまったくわからない」と告げる。一巻の巻物を勘兵衛に託す百地丹波守は「織田軍の包囲を破り紀伊のわが息子三太夫に/これを渡すこと!」と命じる。
巻物
伊賀の勘兵衛が、百地丹波守から、織田軍の包囲を破り紀伊にいる百地の息子、三太夫に渡すよう命じられる一巻の巻物。
「それは……?」と訊く勘兵衛に百地丹波守は「天下騒乱の元」と告げ「この巻物が手の届かぬところにあれば奴らはおのずと手をひく」とも語る。
“黒蝙蝠”
第18話で、百地丹波守から勘兵衛に託された巻物から登場するコウモリのキャラクター。便宜的に“黒蝙蝠”と呼びたいが、作中の現代でも『黒蝙蝠写本』など、類縁の用法は観られる。
今わの際、新ちゃんが、巻物を焼き捨てろと言った言葉の真意がわからぬまま、第18話の終盤、勘兵衛は巻物を紐解く。その前に半分煙のような感じの黒蝙蝠が顕われる「あ−−あ はじまっちゃった」「何人殺せば終わるかな」と語る。驚いた勘兵衛が、思わず巻物を締めると、黒蝙蝠の姿は掻き消える。「な……/なんだ今のは……」と、勘兵衛。
用語や登場人物
解説

関連する用語

白洲次郎
作中の白州次郎は、おそらくは、1945年に終戦連絡中央事務局の参与(翌46年に同事務局次長に)になった、歴史上の白州次郎をベースにしたキャラクターと思われる。そう思った方が、CIAのスミスが、穏便に白洲と会話する様子が納得し易いし、同じ会話での白洲のセリフの含意も、味わい深くなる。ただし、2巻掲載分では、この推測を確定するに充分な描写は見当たらない(1巻掲載分でも同様)。1巻に観られる、下山総裁の描写と比較しても、(過去に実在した人物をベースにしてもしなくても)フィクション成分の多そうなキャラクターではある。
ナザレのイエス
『新約聖書』で述べ伝えられるイエスのこと。キリスト教関係の話題では、「ナザレのイエス」と呼ぶと、信仰対象としての「イエス・キリスト」とは異なり、人間としてのイエスを指す習慣がある。
“義の教師”
クムラン文書(死海文書の一部)から知られた、古代ユダヤ教の一派、クムラン教団の半ば伝説的な指導者。
『新約聖書』に述べ伝えられるイエスの言行は、「先行する“義の教師”の伝承と類似点ガ大変多い」と言われている。この件については「“義の教師”の伝承を踏まえて、意図的に彼の言動をなぞるような振る舞いをした」、「新約の福音書編纂者たちが、“義の教師”の伝承プロットを参考にして、イエスの言葉の記録(言の葉資料、Q資料)を再編した」、「イエスと言う人物は実在しなかった、新約福音書の記者たちは、“義の教師”の言行をベースにした新たな伝承を述べ伝えた」などの諸説が唱えられている。
公民権運動
「公民権運動(American Civil Rights Movement)」と呼ばれるのは、普通は「アフリカ系アメリカ人公民権運動(African-American Civil Rights Movement)」のこと。アフリカ系の合衆国国民に対する、公民権の公正適用と人種差別解消を求めて展開された大衆政治運動を指す。広義には1950年代から1960年代にかけて展開され、狭義には、1955年〜1968年に展開された。
アフリカ系アメリカ人公民権運動の成果としては、州法での人種隔離法などを禁止する連邦法が度々制定され、最終的には、1964年の連邦公民権法制定に到った。しかし、公民権法制定後も、差別主義は続き、過激化、反差別主義側にも過激化した行動が観られるようになった。これらの暴力の応酬は、概ね1970年代半ばに一応の沈静化をみせた。
いわゆる公民権運動に重なる時期には、ベトナム反戦運動や、カウンター・カルチャーのムーブメントがあり、複雑な連動や相克もあった。同時期には、女性解放運動や、同性愛者を中心にした性的マイノリティの解放運動なども展開された。
天正伊賀の乱
1573年〜1593年の天正年間中盤、1578年(天正六年)と、1581年(天正九年)に断続した、織田軍の伊賀侵攻、制圧戦。1578年には、信長の息子信雄が独断で伊賀に侵攻し敗退(後世、「第1次伊賀の乱」とも。直後、信雄は信長から謹慎を命じられた。1581年には、信長の命で東、北、西の三方から大軍を伊賀国に侵攻させ、短時日で蹂躙、制圧(後世、「第2次伊賀の乱」とも)。この時、信長自身は出陣せず、制圧後に閲兵と視察のため伊賀入りしたのみ。『BILLY BAT』の「百地武芸帳」で、主に描かれるのは、1581年の第2次伊賀の乱の直前のことになる。
百地丹波守
半ば以上伝説的な、戦国期伊賀の国人侍(土豪、地主的な、地域の小領主)。

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書誌情報

アフタヌーンKC

2009年刊行

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