忍者

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多くの場合、日本の戦国動乱の時期に大名や領主に仕え、間諜や暗殺を仕事としていたとされる集団。

「忍(しのび)」とも呼ばれる。

クラシックな物語的イメージでは、全身黒の衣装で頭巾をかぶり、内側に鎖帷子を着て背中に刀を背負い、妖術めいた「忍術」を使い、夜陰に紛れて敵地に侵入するというもの。主な武器は手裏剣。

(しかし、最近のフィクション作品では、ピンクの忍び装束や、白の忍び装束など、カラフルな衣装も見られる)

一部のゲーム・マニアの間では、全身裸でものすごい速度で動き回り、グレーターデーモンやフロストジャイアントの首をねじ切る、と言ったイメージもあるようだ。さらに最近は、「錬金術」を使うこともあるらしい。主な武器は素手。

関連する用語

役行者(えんのぎょうじゃ)
複数の忍者集団が、伝説上の祖とみなす人物。役小角(えんのおずね)、役君(えんのきみ)とも。7世紀末に大和国で葛城山を中心に活動していた実在の宗教家、呪術師。その事跡は、多くの伝説と分かちがたい型で伝わっていて、人物イメージは、半ば以上伝説的。一般には、山岳修験道の開祖として尊崇される。一説に初期の雑密(民間密教)の修行者だった、とも言われる。
役行者を忍術諸流の開祖と見なす伝説を現在伝えている、古い文献は、いずれも江戸時代に入ってから記された忍術諸流の秘伝書類。これら秘伝書類は「諸流に伝えられていた口伝を編纂した」とされるが、「権威付けのために、後付で役行者の名を使った」とも、「元々忍者集団の多くは、山岳修験道と関わりが深かったため」とも言われる。
甲賀三郎
甲賀の里の伝説的開祖とされる人物。現在知られる甲賀三郎の物語で、最も古いものは、南北朝対立期に編纂成立した『神道集』に収められている『諏訪縁起の事』。『諏訪縁起の事』で、甲賀三郎諏方(こうが さぶろう よりかた)は、「近江国甲賀郡の地頭だった」と伝えられているので、漠然と鎌倉時代〜室町時代頃の人物とイメージされる。
甲賀三郎諏方は、伊吹山の天狗にさらわれた妻、春日姫を求め諸国の山々を遍歴。信濃国の山で再開するも、兄、二郎に穴に落とされ地底をさまよう。地底の異郷、維縵国(ゆいまんこく)に辿りつた三郎は、歓待されたが、帰郷を目指し、幾多の試練を乗り越え浅間山に帰着。しかし、浅間山から甲賀郡の釈迦堂に戻ったとき、なぜかその身は蛇体に変化していた。三郎は、蛇体を恥じ、釈迦堂の縁の下に身を潜めていたが、ある日、釈迦堂に集った僧たちの会話から蛇体から人間に戻る法を聞く。人間に戻った三郎は、妻と再会。
その後、甲賀三郎諏方は、甲賀郡の諏訪大社上社に、春日姫は下社に祀られた。
楠正成(くすのきまさしげ)
鎌倉時代末〜南北朝対立期に実在した武将。伝説的系譜では、橘正遠の後裔と伝えられるが、出自自体不明で、系譜は疑わしいとされている。『太平記』などで、南朝方武将として語られた、実態は、野武士集団、悪党集団を組織したと人物と目されている。
室町時代から江戸時代初期にかけ、楠木流を称す兵法書が多数、著され、忍者諸流も「楠流の流れを汲む」と称す例が珍しくなくなった。楠流を称した軍学者の代表格は、由比正雪だろう。
物語的イメージでは、特に根来衆が楠流の系譜とされる例が目立つ。この系譜関係は、実際の歴史でもあり得ないことではない。
石川五右衛門
安土桃山時代に実在した人物。京都周辺を荒らしまわった盗賊集団の頭目だったようだ。当時の公家の日記や、宣教師の見聞記には、凶悪な強盗のように書かれている。親子郎党と共に、京都の三条河原にて極刑に処された、との記録もある。この刑には、釜茹でと釜炒りの説がある。
江戸時代に入って、五右衛門に取材した、浄瑠璃や歌舞伎が多数演じられた。これらの物語では、豊臣政権に反抗的だった義賊、というイメージが提出され、膨らまされていった。
五右衛門の出身地は、定かではないが、有力と言われる説には、河内説、丹後説、伊賀説などがある。
戸沢白雲斎なる甲賀忍者の弟子がドロップアウトしてアウトローになった、とも、百地丹波配下の伊賀忍者出身とも、幻術士果心居士に術を授けられたとも言う。
服部半蔵
伊賀の土豪一族出身で、代々「半蔵」を名乗り伊賀忍者を統率する。有名なのは家康に仕え、本能寺の変後に堺から三河に抜ける「伊賀越え」を指揮した二代目服部半蔵正成。
甲賀
忍者の里として、最も有名なものの一つ。伝説上の人物、甲賀三郎が忍者の里としての甲賀の開祖とされてる。
甲賀の忍者は、しばしば「甲賀者」「甲賀忍者」などと呼ばれる。
伊賀
忍者の里として、最も有名なものの一つ。伊賀の忍者は、しばしば「伊賀者」「伊賀忍者」などと呼ばれる。
風魔
関東地方の忍者集団として知られる。しばしば、拠点は箱根山中とされた。物語的なルーツは、鎌倉時代にまで遡ることもできて、しばしば北条氏に反抗的だった勢力としてイメージされる。
根来
忍者集団として知られ「根来衆」、「根来忍軍」などと呼ばれる。おそらく、イメージ・ソースは、織田政権に敵対し、本願寺に協力的だった、根来地域の地侍や、野武士などの一群だったと思われる。
真田十勇士
戦前の講談小説「立川文庫」で創作された、強力な忍者集団。真田についての講談のルーツは、江戸時代まで遡るようだが、「十勇士」という忍者集団の設定が形成されたのは、立川文庫による、とのこと。
飛騨
忍者の里としては、そこそこ有名なものの一つ。
柳生
兵法家、新陰流を伝承する剣術一門だが、しばしば「裏柳生」として忍者が活躍するように書かれる。作家で、TVドラマの脚本家キャリアも長かった隆慶一郎は、「『裏柳生』というコンセプトを最初に創作で描いたのは、小池一夫(『子連れ狼』)だろう」旨、述べていたことがある。
(sf) 柳生が忍者と関係づけられるのは、まあ当然で、地形的にも伊賀・甲賀同様だし近い縁があるのよん。都の周縁の山の中の盆地ですからね
くノ一
女の忍者のこと。『くノ一』とは『女』という字を解体したものなので、「くのいち」や「クノイチ」では成り立たない。
乱破(らっぱ)
日本の戦国期に、実用された忍者的集団の呼称の1つ。あるいは、特殊な職種のようにも用いられた。地域によって、素破、突破とも言われた。
素破(すっぱ)
日本の戦国期に、実用された忍者的集団の呼称の1つ。あるいは、特殊な職種のようにも用いられた。地域によって、乱破、突破とも言われた。
突破(とっぱ)
日本の戦国期に、実用された忍者的集団の呼称の1つ。あるいは、特殊な職種のようにも用いられた。地域によって、乱破、素破とも言われた。
忍法帖
用語
解説

メモ

  • 現代でも命令にしたがってご主人様を影から守る忍者がいる
    • モビルスーツが戦場を駆ける未来でも、時代の影から戦況を左右する忍者はきっといる
  • 各地方の名物や伝承に従ったご当地忍法帖

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ガンダムファイトならぬ「ニンジャファイト」

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