「荒唐無稽にするための資料探し」の版間の差分
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メモ
荒唐無稽にするために資料を探す
- 調べものをやりすぎて手が動かなくなる
- 調べた結果として、これはできない、とアイデアの段階で破棄してしまう
そんな問題行動に陥って居ませんか? 資料を自分を単に束縛する道具として使ってしまわないように注意しましょう。
http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2004/02/20040222.html#010000より
[Kakeru] 集めないと荒唐無稽になって、集めると縛られて話が普通になる(ちーん
[akiraani] 集めた上でハッタリかますのだ
[sf] 「荒唐無稽にするための資料」を探すと良いのだろう。その例が、さっきから話していた事例の蘊蓄。あるいは「荒唐無稽になるような背後の理由」を補強するための論理とかね。それを探す。
[sf] あとは集めた資料はディテールに使う。というのも大事なとこかなあ。話の説得力ってのは細部にあると思うので、そこを補強するために資料あつめをする。
[sf] ミステリなんかで現地取材ってのは、そういう旅先の細部をネタに入れることで、情景描写や舞台設計の「それらしさ」を演出しやすくするためなんだと思う。あれですね、ファッション用語やなんかを大量に盛り込んだ時事小説とかでよくある手。清涼院流水なんかは、分かりやすいくらいに「ガイドから拾ってきた説明」を舞台や蘊蓄として多用してるな。
[akiraani] それっぽい用語を拾ってきて、説明もせずに勢いで「そういうものだ」と押し切るとなぜかリアリティが出たり。実際にある用語の中に、ちらっと捏造用語を混ぜておいたりしてもバレなかったり
[sf] 嘘はたくさんの真実の中に紛れ込ませるというわけですな
[matuya] 調べ物をやりすぎると手が動かなくなるってのはあるよなあ。
[sf] ですねえ。だから意識的に「荒唐無稽にするために探す」とか「細部の補強と割り切って探す」とかするのが便利なのかなあと。