観光都市江戸の誕生

提供: #もの書きWiki
2017年4月16日 (日) 02:29時点におけるOchabot (トーク | 投稿記録)による版 (見出しの除去)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動

今も人気を集める東京の観光スポットがいかにして誕生したのか。 一過性の流行と成功者の違いが面白い。

安藤優一郎

書誌情報

新潮新書

面白かったこと

  • 吉宗は飛鳥山や隅田川堤、品川御殿山などの植樹を行ない、部下を遊ばせてプロモーションして観光地を作り上げた
  • 成田不動の巧妙かつ変化しつづけるプロモーション戦略
  • 大名屋敷の神仏を公開して人を集めた。一過性の流行であった太郎稲荷と、今も人を集めつづける水天宮や金比羅社。

話題まとめ

チャットログ

http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write/2005/07/20050715.html#160000
東京の人間は「また同じことやってら、つまんねえ」となる、という話から、そうなったのは江戸の後半からなのかなあと、出開帳(江戸で開帳する)の集まりがだんだん悪くなったり、太郎稲荷に代表される大名屋敷の神仏公開の流行と衰退とかを、話題に出した。「ハードさえあれば人が来る」という発想ではないあたりは、東京ディズニーランドと成田不動は重なってみえる。

資料リンク

リンク